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最高裁判所第三小法廷 昭和34年(オ)888号 判決

上告人 野田公二(仮名)

被上告人 野田花子(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人棚村重信、石黒武雄、河野曄二の上告理由第一点について。

本件当事者間の性生活の状況に関する原審の認定は、挙示の証拠に照らせば、肯認することができ、この点に関する証拠の取捨、判断も首肯することができる。そして右判示によれば、原審は、上告人が睾丸切除により性交不能となつたと認定しているものでないこと明らかである。論旨はひつきよう原審の適法にした事実の認定および証拠の取捨、判断を非難するに帰するものというべく、採用できない。

同第二点について。

記録に徴すれば、原審における被上告人に対する代理人による所論尋問において、被上告人が書面によつて陳述することにつき裁判長の許可があつたものと認められるし、また上告人は右尋問に対し遅滞なく異議を述べた形跡はうかがうことができないから、原審が右被上告人尋問の結果を事実認定の一資料としたからといつて、これをもつて違法とはなしえない。論旨はすべて採用できない。

同第三点について。

本件当事者間の性生活の状況に関する原判示によれば、上告人の性交態度は判示のように常態ではなく若い女性である被上告人としては忍びえないものであり、しかも右態度は昭和二十八年十一月結婚生活に入つた当初から昭和三十年五月頃被上告人が実家に帰るまでの間終始かわるところなく、夫婦両名はこれが一時的のもので、やがては上告人の焦燥態度も緩和するであろうと期待して夫婦生活を続けてきたが、ついに一向に緩和しなかつた、というのである。そして、さらに原審の確定するところによれば、上告人と被上告人は他人の紹介で昭和二十七年春頃知り合つて見合をし、挙式の上事実上の結婚生活に入つたものであるところ、その交際期間中上告人は副睾丸結核のため睾丸を切除し、被上告人方ではこのことを知つて重視したが、被上告人は、右切除に当つた医師の、睾丸を切除しても、生殖能力はないが、夫婦生活には大して影響がない、との言を信じて結婚したものである。以上のような事実にさらに原審認定の性生活を除く夫婦生活の状況等からうかがわれる本件当事者双方の諸事情を加え、また夫婦の性生活が婚姻の基本となるべき重要事項である点を併せ考えれば、被上告人が上告人との性生活を嫌悪し離婚を決意するに至つたことは必ずしも無理からぬところと認められるのであつて、原審が判示性生活に関する事実をもつて民法七七〇条一項五号の事由にあたるとした判断はこれを是認することができる。そして、前記のような諸事実が認められる以上、原判決が右判断にあたり、上告人の性交能力の欠陥について治療回復の能否および当事者のこれへの努力に関し認定判示するところがないからといつて、民法七七〇条一項五号の解釈を誤り、また理由不備、審理不尽の違法があるということはできない。論旨は結局、独自の見解に立脚し、また原判示にそわない事実を前提として原判決の違法を主張するものというべく、すべて採用できない。

上告人の上告理由について。

論旨が理由のないことは上告代理人棚村重信らの上告理由に対する前記判断から明らかであるから、所論はすべて採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 石坂修一)

上告人代理人棚村重信の上告理由

第一点 原判決には経験法則に反して事実を認定した違法があり、この違背は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから原判決は破棄さるべきである。

一、即ち原判決は被上告人(原審控訴人)の第一審並びに原審における供述に弁論の全趣旨を綜合した上で「上告人(原審被控訴人)は被上告人との婚姻前既に睾丸を切除した状態にあり、上告人はたまたま性交を試みんとして被上告人の寝床に入つて来てもただ焦慮転々するばかりで、自ら満足することもできず、また被上告人に対しても勿論満足を与えることができないで、遂に顔面蒼白となつて自分の寝床に帰つてしまい、しかもそのまま就眠することができないで、被上告人の体の一部に手を触れて漸く眠るのを常としていた」旨の事実を認定しているのである。

二、然しながら右認定は「睾丸を除去した者の性的機能」に関する医学上の経験方則を全く無視して為されたものであると云わなければならない。

即ち医学界の常識から云えば「男性の性的機能を高める作用は睾丸より分泌せられる男性ホルモンと副腎より分泌せられる副腎ホルモンとにより行われるのであり、従つて睾丸を除切せられた場合には此の男性ホルモンが分泌せられなくなるためその性的機能が低下することは止むを得ないところであるが、男性の性慾の発動並びに右に伴う陰茎の勃起はその全てを睾丸より分泌する男性ホルモンに依存するものではなく、仮に睾丸が除去せられたとしても陰茎を勃起せしめ女性と性的関係を持つことは充分可能な訳であり、唯その機能が多少低下するに過ぎないのである。而してこの機能の低下は男性ホルモンの不足より来るものであるから、男性ホルモンを注射乃至は服用するとともに精神的な劣等感を払拭すれば、その性的機能は正常化し性的交渉を為すことも充分可能なのである。」とせられているのであり右は現在に於けるホルモン学界における周知の事実であり、「睾丸を除去するも女性と正常に性交を為すことは可能である」と云うことは正に医学界における経験法則である。

三、右の如き経験法則が存するに拘らず原判決の認定したる事実並びにその認定の基礎となつた証拠は前記一、の通りである。

然らば原判決挙示の証拠は前記経験法則を覆すに足るだけの証明力を持つているものであろうか、以下に此の点につき多少検討してみる。

即ち原判決は挙示の

(1) 高等裁判所における控訴人本人の供述につき検討すると、右本人尋問は非公開で行われたに拘らず(原審第二回口頭弁論調書参照)控訴代理人は控訴人(当審被上告人)たる野田花子本人に対し、「被控訴人はたまたま性交を試みんとして控訴人の寝床に入つて来ても、ただ焦慮転々するばかりで云々」との記載のある準備書面を示し、当事者間の性関係は此の通り間違いないかと訊し、被上告人は之に答えて、「この準備書面に記載してある事は事実と相違して居りません。私が原審で尋問を受けた際言い辛い事であると申上げたのはこの準備書面に記載してある事実を指称してあるものであつて、原審では公開の法廷だつたので申上げることが出来ませんでした」旨を陳述しているに過ぎないのである。(原審野田花子の本人尋問調書)

即ち控訴審における上告人本人の供述は、予め代理人たる弁護士が主張準備のため構成した準備書面に導かれ、その内容をそのまま肯定したものであり、被上告人本人は何等具体的な陳述を為さない典型的な誘導尋問による供述である。

(2) 次に第一審における被上告人の供述を見るに、二十九年に被告が喀血し、私は看病していたのですが、八月頃になつてから病人として考えなければならないこと、しかしこの法廷でいいづらいことを私に強いるので同席に堪えられずにその日は神田の叔母の家で泊り翌日実家へ帰りました」(第一審野田花子の本人尋問調書)旨の供述があるのみで夫婦間の性行為については何等語られていないのである。

他方之に反する証拠を見るに、

(1) 上告人は原審第二回口頭弁論期日に本人尋問を受けた際、

「控訴人とは結婚後直ちに同棲し、結婚初夜から性交し約半年位の間は毎日位性交して居りました」

「私は結婚後も半年位たつてから肺結核で喀血し、自宅療養で病床に臥して居りました。右療養期間中も控訴人との性交はして居りましたが、勿論その間は自分の体に留意して性交致して居りました。」

「私は結婚前に病気のため睾丸を切除しましたが性交は別に不可能ではなく、控訴人の主張するように性交不能という事は絶対にありません」

「私の性交に要する時間は短かかつたり長かつたりまちまちでいちがいには申上げられません。その性交について控訴人が不満足であつたかどうかは私には判りませんが、大体満足していたようです。」

「控訴代理人小川契式弁護士からの昭和三十四年二月十六日付準備書面は私も見て居ります。しかしそれに書いてあるような状態はありませんでしたし、又それに書いてあるような不満が被控訴人にあつた事は私は気が付きませんでした。」(以上総て原審第二回期日の被控訴人本人尋問調書)

旨の極めて具体的且つ真実性に富んだ経験法則と合致する供述を為しているのである。

(2) 他方医師椎名順二は、

問 「睾丸を手術すると性交に影響がありますか」

答 「普通睾丸を取つても影響はありません」

問 「被告の場合はどうですか」

答 「後日たしかめた訳ではありませんが、おそらく性交には差支えないと思います」………

問 「どんな話をしましたか」

答 「具体的な話の内容は忘れましたが、私の方で睾丸は取つても夫婦生活には大して影響ない。現に私の友達で睾丸を手術して結婚したが円満な生活をしていると云う話をしたことがあります」(以上第一審第六回口頭弁論期日の証人尋問調書)。

旨を述べて上告人が性交可能な状態にあると思われること、並びに睾丸除去の場合の性交の可能性に関する一般的な経験法則を指摘しているのである。

四、以上により明らかとなつた如く原判決は上告人の性交の可能性につき、上告人本人の率直具体的な供述、並びに専門家たる医師の一般的経験法則の指摘があるに拘らず、全面的な誘導尋問によつて為された被上告人の抽象的供述を採用しているのであり、其の事実認定が経験法則を無視した違法なものであることは明らかであり、従つて原判決は破棄せられるべきである。

第二点 原判決には判決に影響を及ばすこと明らかな訴訟手続の法令違反乃至審理不尽の違法がある。

一、原審における被上告人(原審控訴人)の尋問手続が、被上告人の代理人である弁護士が予め構成記載した準備書面を証人台上にある被上告人本人に示し、単に其の内容を肯定させるに止まり本人より何ら積極的な陳述を期待しない典型的な誘導尋問により行われ、しかも右準備書面の記載内容が医学上の経験法則と相反するものであるに拘らず、原審裁判所が何等為すところなく斯る尋問方法を許容し、右供述を判決の基礎事実の認定の資に供したことは原審第二回口頭弁論調書並びに右と一体となす野田花子の本人尋問調書及び原審判決により認められるところである。

上告人は斯かる誘導尋問については各具体的事案により民事訟訴法上自からなる限界があり、之を越えるときは右手続は法の精神に反し違法とせらるべきものと解する。よつて以下にいささか此の点に関し論述する。

二、思うに裁判所は司法権を信託した国民に対し、各事案につき実体的真実を認定の上公正妥当な裁判を為すべき職責あるものと云うべく、従つて裁判所には訴訟を適切、公正に進行せしめるべく配慮すべき職務上乃至訴訟法上の義務があるものと云わなければならない。

此の故に我が民事訴訟法は第一二六条において裁判長に訴訟指揮権を、第一二七条において釈明権を与え、之等殊に釈明権については単に裁判長に与えられた権能であるに止まらず、職務上乃至訴訟法上の職務であつて之を怠れば審理不尽となり事実確定手続の違法として判決破棄の理由となるものとせられ、之が不行使を理由とする破棄判決の幾多の事例を見るのである。即ち之等はいづれも裁判所に適切、公正な訴訟手続の運営を為すべき職務上乃至訴訟法上の義務のあることを認め、右裁判所の職責より流出する一義務に外ならないのである。然らば誘導尋問に対する裁判所の訴訟指揮の措置の不行使については如何に考えるべきであろうか、民事訴訟規則に之を見るに同規則第三十五条においては「裁判長は質問が次に掲げるものその他これに準ずるものであつて相当でないと認めるときは、申立により又は職権でこれを制限することが出来る」と規定し、一見之は専ら裁判長の権能であり義務を伴わないものであるが如き感を抱かしめる。然しながら此処において注意すべきことは、(1)職務上乃至訴訟上法の義務であると一般に解されている釈明義務についても訴訟法は「……当事者に対して問を発し又は立証を促することを得」と規定し以て文理上は釈明権のみを規定したものの如き法文上の体裁がとられていること。(2)裁判長のなす釈明にせよ、又尋問に関する措置にせよ、いづれも共に実体的真実に即した適正な裁判を担保するために訴訟手続自体を適切、公正に運営せしめんとする共通の理念より出発し、且つその要請も尋問に関する措置が釈明措置に比して軽からぬ比重を有し決して等閑視せらるべき性質のものでない点である。要するにその差異は単に前者が訴訟における主張の側面であり、後者が立証の側面であるに過ぎないのである。

三、以上により明快となつた如く、証人尋問においてその訴訟の要点につき著しい誘導が行われた場合においては裁判長は直ちに訴訟指揮権の一環として尋問制限権を発動し、以て適正な証人尋問を進行せしめる様に配慮すべき職務上乃至訴訟法上の義務あるものと云わねばならない。

翻つて本件を見るに、原審において当時の控訴人代理人は離婚許否の一重大要素である被控訴人(当審上告人)の性的機能に関し控訴人本人(当審被上告人本人)に対し徹底的な誘導尋問を施行したにかかわらず原審裁判長が之を拱手傍観して何等の措置をとらず右供述を基礎として事実認定を為したことは前記の通りであり従つて原審における訴訟手続には尋問制限義務の違背があり、原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背乃至審理不尽の違法に基づくものであつて当然破棄さるべきものと思料する。

第三点 原判決には法令の解釈の誤、理由不備並びに審理不尽の違法があり破棄さるべきである。

一、原判決は被上告人の離婚の請求を容認し、その理由を判決理由中において次の如く述べているのである。

「……そこで問題は本件当事者間の性生活の点であるが、控訴本人の原審並に当審供述弁論の全趣旨を綜合すれば、控訴人が当審において追加主張する一の事実を認めるに足るのであり、被控訴本人の原審並に当審供述中右認定に反する部分は採用し難く、右認定を覆すに足る証拠はない。そして控訴人と被控訴人との性生活の状況が右の通りとすれば、たとえば婚姻に当り、控訴人は被控訴人に生殖能力のないことはこれを承知し、これを了承の上で婚姻生活に入つたものであることを考慮するとしても、これを以て民法第七七〇条第一項第五号にいう婚姻を継続し難い重大な事由があるものと認めざるを得ないところであつて控訴人の本件離婚の請求は他の争点について判断するまでもなくこれを認容すべきである。」

而して右判決に云う認定した一の事実とは要するに、上告人は被上告人と性交を遂げようとしてもただ焦慮転々するばかりで双方満足することを得ない状態にあり、婚姻当初は双方とも之は一時的なものであり、やがては好転するであろうと期待して夫婦生活を続けて来たけれども性交に関する上告人の状態は一向に好転しない。と云うにあるのである。

二、即ち此処で注目すべきは原判決は只漫然と上告人が単に性交不能である事実のみを認定し、右不能の状態を除去するために当事者間で如何なる努力が払われたか、更には之が治療回復は可能なりや等については何等審理を遂げることなく、又判断も為していないのである。

三、思うに我が民法第七七〇条はその一項一号乃至四号に掲げる具体的離婚事由の他に第五号において抽象的離婚原因として「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」との一項を設けているのであるが、右一号乃至四号は離婚原因の例示として列挙せられたものであるから右五号による離婚は前四号に類似すべき障碍のある場合にのみ認められるべきものとなることは明らかである。然るときは単に現在における性的不能のみを原因として離婚を認めることが許容せられるであろうか、試みに精神病を例にとつて考慮してみよう。精神病と性交不能とを対比するときは精神病の方がより以上婚姻生活の障碍となるものであることは明らかである。而して法は此の精神病に関してさえも「回復の見込がないとき」との条件を附して始めて離婚を認容するのであり、当事者は右精神病治療のために最大の努力を払うべきものであり、しかも尚、医学上回復不能と断定されて始めて離婚を請求し得るのである。

右と対比すれば本理由書第一点に論じた如く男性ホルモンの注射、服用、精神的療法による劣等感の払拭等により睾丸除去による性交不能を治療する方法が医学上確認せられている現在では性交不能を理由とする離婚も又当事者が治療に努力したに拘らず、回復不能なることが判明した場合のみ認められるものと解しなければならない。

四、然るに、原判決は右法条の解釈を誤り性交不能を理由とする離婚には治療への努力、回復の不能等の要件を要せずとの見解に立つたものと思料されるが、現在の性交不能のみを審理認定しているに止まるのである。従つて原判決は民法第七七〇条一項五号の解釈を誤つた理由不備、審理不尽のものであり、破棄さるべきである。

上告人の上告理由

原判決は法令に対する適用に過誤及びその判断に違法があるので破毀となることを免れぬものと思料する。

第一、法令適用上の過誤及び法律判断の過誤

原判決理由を観るに控訴本人の原審並に当審供述に弁論の全趣旨を綜合すれば、控訴人が当審において追加主張する一の事実を認めるに足るとし被控訴本人の原審並に当審供述中右認定に反する部分は採用し難いとし他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そして控訴人と被控訴人との性生活の状況が右の通りとすれば

たとえ本件婚姻に当り控訴人は被控訴人に生殖能力のないことはこれを承知し、これを了承の上で婚姻生活に入つたものであることを考慮するとしても、これは民法第七七〇条第一項第五号にいう婚姻を継続し難い重大な事由があるものと認めざるを得ないとの法解釈に立つて居るものであると解し得られるが

これは既に事件の具体的内容が第一審に於いて総て当事者より提出されて来た如く生殖能力の点について欠くることは当事者は元より媒酌人及び控訴人の姉、母に至るまで承知して婚姻されて居り、これを補うに人工授精のことまで考慮されて居つたのであつて子供を儲け得るか含かの杞虞の念を捨てゝ両性が婚姻を為したものである。

昭和三十四年五月十五日控訴人本人尋問に於いて被控訴本人はその第五項に子供は貰つてまでも育てようと控訴人とも話合つて一切の生活設計もそのように立てられて居つたこと。

従つて生殖能力及び子供に関する問題は当事者ではこれを争はないのである。

然るに控訴審はこれを争点として事件を把握したと思料されるところに事件全体の判断に誤まりがあり、従つて法令の適用を誤るに至つたものと考えられるのである。

次に性生活に関する点について控訴審に控訴人の代理人が準備書面を以つて追加主張した点を主として認容してこれを判決の全判断の具体的事実として尊重しているけれ共昭和三十四年五月十五日被控訴本人尋問調書第二項には決して性交の不能を証明付けて居らず寧ろこれは被控訴人が控訴人に対する愛情と肉体的交渉に欠くるところ無き事実をその儘証言したものである。併かも右尋問調書第八項即ち控訴審に対しなされた追加主張たる準備書面に「それに書いてあるような状態はありませんでした」と被控訴本人は立証しているのである。なお控訴人にそのような不満があることは知らなかつたと証言して居るのである。この事実は被控訴人本人証言の通りである。

この被控訴人の証人の証言は何れも真実と解することが出来るのであつて果して然りとせば控訴審に於いて準備書面に於いて被控訴人側の主張した点は単に代理人が演出した出来事を記載した作文に過ぎずこれは寧ろ事件の内容と真相を誤らせたものであるがこれを認容した原判決は過誤を犯してをるものであると信する。

而して仮りに性生活が多少他の一般的平均人に比し弱いとしても決して性生活が、不能で無かつたことは控訴人も認め証人椎名医師も認めるところであつて被控訴人本人も終始これを主張して来たところであるが控訴審は被控訴人の主張は証拠がなく信ずるに足らぬとする見解の如くであるけれ共、控訴本人に於いても被控訴人の性交能力を肯定して居るのであつて見れば事実の判断に過誤を犯して居るものと認められる。

従つて本件離婚についてこれを認める正当事由があるとは言い得ないのであつて単に性生活が弱いとの事由は民法に言う七七〇条第一項第五号に該当するとは考えられないものであつてこれを強いて認容することは却つて良俗を破壊する結果を招くものである。

然るに該法条を適用して離婚を認めるに至つたことは法令に違背すると言う外ないのである。

右の通り上告理由提出します。

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